第六回「王立宇宙軍 オネアミスの翼」
1987 ガイナックス
監督 山賀博之
声の出演 森本レオ
弥生みつき
音楽 坂本龍一
******ネタバレ注意*******
架空の地球が舞台。一応地球、と、名乗っているが、僕らとは違う、僕らの知らない歴史、文化を積み重ねて発展してきた星が舞台。
僕らの地球で言えば、1940~70位の技術力か。そんな彼らが初めて有人衛星を打ち上げる…これはそんなお話。
主人公、シロツグ・ラーダット(森本レオ)が生まれた国は、おそらく戦乱に明け暮れた歴史を持っていると推察される。現在は戦争状態でこそないものの、一つ間違えばいつでも隣国と戦争状態に陥りかねない、そんな情勢。
自然、軍隊の地位は高くなっていると思われる。戦う力を持った彼らは、多くの人々から支持を集めている。
だが
エリートである水軍(海軍)のパイロットにはなれなかったシロツグが選んだ仕事は、宇宙軍。軍といっても、実態は人工衛星を打ち上げる打ち上げないのレベルで、軍としての体を成してはいない。一応階級はあるが、誰と戦うわけでもない。一般の人たちからすれば、完全な色物、笑いものである。
そんな組織であるから、シロツグたちにやる気はまったくない。テキトーに過ごし、夜の街で遊ぶ、無気力な若者たちだ。
そんなある時シロツグは、夜の街である若い女性(リイクニ・ノンデライコ)から一枚のビラを貰う。
彼女は宗教家であり、ビラの内容は、悩み、迷いあるときいつでも家を訪ねてきてくれ、というようなものであった。
なんの気無しに、彼女の家を訪れてみるシロツグ。
そこで自分の身の上話をして、宇宙軍の説明をする。
戦争をしない軍隊。
戦いを好まない彼女は、それを素敵な事だと、とても褒める。予想外の反応に、調子に乗って舞い上がるシロツグ。自分の仕事に自信を持っていなかったシロツグだが、彼女に褒められた事で「その気」になる。
そんな折り、宇宙軍で有人宇宙船の打ち上げプロジェクトを行うとの発表がある。そのパイロットに志願するシロツグ。
周りの仲間は、急にやる気を出したシロツグを怪訝な気持ちで見守るが、やがてシロツグを中心として、人類初の宇宙旅行に向けた計画は動き出してゆく…
宇宙旅行計画は進んで行くものの、金食い虫であって成果の出ない宇宙軍を軍事的に利用しようとするお偉いさんが出てくる。
軍事的利用といっても、紛争地域に近い場所で打ち上げようとして、敵国がそれを奪おうと攻めてきたところを…つまり囮として利用しようというのだ。
案の定、打ち上げ直前に、敵国が侵攻し、打ち上げ上付近は交戦状態になる。危険な状態の中、打ち上げ時刻を早めるなどして、なんとかロケットの打ち上げに成功する…シロツグは人類で初めて、宇宙を旅した人になった…
と、ストーリーはこんな感じ
さて
このお話のヒロイン?リイクニさんについて…
このリイクニさん。ヒロインとしてはおそろしく地味。
不幸な生い立ち、争いごとが嫌いなのは良いとして、神様の事しか考えていないのがね…どうにも魅力に欠ける
いや、宗教が悪いわけではないけれども…このままでは人類は神から罰を受けます…と、ビラ配ってる女の子ってのは相当手強そう。
ついでに、超とっつきにくい妹付。これは手強い。
何の気無しに…とさっき書いたけど、どう考えてもシロツグさん、最初から下心満載なんですな。
ビラ配ってたのがおじさんとかだったら、きっと何の気無しに家を訪ねたりしないでしょうし(笑)
シロツグさんも手強いのは重々承知なのだが、一方でライバルは少なそうと、考えていたんでしょうね。なんか下心の話だけになってるけど、なんかわかる。
もし友人としてアドバイスするなら、一言
やめとけ
ですけどね
それにしても、わざわざこんな地味なヒロインにする意味って、なんなんでしょうね。リアリティを持たせるため?まぁ確かに。
それに比べて、ジブリに出てくるヒロインのなんとサービス精神旺盛なことよ…
てんにましますわれらがかみよ…とか食事前に祈りながらも、ポルコにこっそりウィンクを飛ばすフィオ位の茶目っ気が欲しい…
リイクニさん。アニメとして考えると、あんまり見た目も可愛くないんだ。まぁそれは私個人の感想に過ぎない(それいったらこのブログ全部そうですけど)んですけど…わざとそうしてるとしか思えない。
第一回の時も書きましたが、宇宙に出る話と宗教というのは、比較的結びつきやすい。だから、宗教関係の人物を出したい、というのは良くわかります。が、この子じゃねぇ…見てる方がくらぁい気持ちにしかならないんですね…やっぱりヒロインは重要
うん、この映画観る度に、この部分に引っかかるんですね…
ヒロインは世界観を表現するパーツじゃない…
そう、世界観…
この映画、一番の魅力は、なんといっても世界観。架空の発展を遂げてきた僕らのものではない地球の文化、テクノロジーを一から構築している点。
さすがに話し言葉は日本語であるが、文字は僕らがまったく見たことが無いもの(なにかモデルの言語はあるんでしょうが…)。文字なのか絵なのか数字なのかわからない記述が情報伝達手段として使われている。僕らはそれがなんとなく文字っぽいものなんだろうとわかるだけ。まるでヴォイニッチ手稿みたいである。
硬貨は棒状だし、プロペラはみんなコントラ(二重反転)だし、明かり取り窓の形状の独特さとか…まぁ細かい話を言い出したらきりがないですが、その一つ一つが重なり合って、僕らとは確実に違う世界を生き生きと描き出している。
そしてその細かいことをずっと仲間と議論するのが、この映画の一番の楽しみ方なんでしょうね。そんな気がします。
いつの日か、この映画の話は別バージョンを書きたい。
宇宙と宗教の絡み、シロツグの台詞。野田昌宏さんの話…
別の切り口から…
書きたいことは色々あるのです。むしろ今回は、好き過ぎて逃げた気さえします…
思い入れのある作品ですから…なんやかんや言っても…
つまり…そう…オススメなのです
第五回「激突!」
第五回「激突!」 原題:Duel
1971(米)
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 デニス・ウィーバー
******ネタバレ注意!********
スピルバーグ監督が無名時代に取ったテレビ映画(後に劇場でも公開)。この作品で名が売れたらしい、まぁ有名な話ですね。
うん…面白い映画なんです。とても。
久しぶりに観たけれど、楽しめました。
えー、このブログには、致命的、というか構造的欠陥がありまして…基本的に、映画を観ないと書けないのです(笑)
で…
ちょっと今回は時間的な関係もあって、じゃあ短めの映画といきましょうかね…「激突!」なんかいいかな…と思ったのが運の尽き…
ストーリーは、というとですね…
ビジネスマンであるデビット・マン(デニス・ウィーバー)が、車で商談先へ向かっている。道はアメリカの田舎道。道は一本しかなく、しかもかなりの距離を走らなくてはならない。また先方の都合で本日中に到着しなければならない。
気持ちよく道を飛ばしてきたが、前を走る大型トレーラーに追いついてしまう。そのトレーラーはゆっくりと走り、しかも後ろにいると排気ガスがひどいので、しかたなく彼はそのトレーラーを追い越す。
ところが、追い越された途端、そのトレーラーはスピードを上げ、再び彼の車を追い越し返してきた。
だが
追い越すと又、何故かゆっくりとトレーラーは走る。
我慢できずに再び彼がトレーラーを追い越す…
トレーラーの運転手、怒っちゃったんでしょうね。あとは幅寄せ、蛇行、体当たり、待ち伏せとまぁ無茶苦茶な運転。しかも超粘着。
いま話題(苦笑)のあおり運転の一番悪質なヤツ。親玉です。
というか、こういうのをあおり運転って呼ぶのホントはおかしいですよね。
あおり運転って、早く行きたいのに前が遅かったりするからあおるのであって、譲ってもらったのに前でゆっくり走るとか待ち伏せるとか引き返すとか、もうそれはなにか別の犯罪ですよね。
もちろんあおり運転は絶対いけません。
…この間、交差点の停まっててはまずい場所に車がいたんです。
そのタイミングで停まってしまうと、一生その交差点で過ごすことになる。まぁちょっと難しい交差点でして
やむなくクラクションを鳴らしたら
その車すごい勢いで加速して行きまして…途中路肩に寄せて僕の車をやり過ごそうとしてたという事がありました。
あれ、絶対あおられたと思ったんでしょうね。
家帰って
変なのにあおられた
必死に逃げた
「激突!」みたいだった!
とか家族に報告してるんでしょうかね
…うーむ
どうすればよかった?
キミと一生交差点の仲、ですか…
なんの話でしたっけ?
そう、激突激突
いや、何が言いたいかというと、この映画、面白いんですよ。だけど、いかんせん設定が単純。いや、単純だからって悪いとは限らない。テーマがきちんとしていてむしろ好感が持てます。好きです。大好きです。
でもでもですね、レビューを書こうと思って観ると、要素少なすぎなんですよ。雑文追加して取れ高稼ぎたくもなるのですよ…短い映画のレビューが楽とは限らないですね…一つ利口になりました。
感想ですか…
スピルバーグさんは、このトレーラーを生き物のように描きたかったのだろうな、ということは感じました。
だから、トレーラーの運転手の姿を描かない。
意思を持った凶暴な大型生物。
使い古されて錆だらけ。元の色なんてわからない。日本なら理由なく警官に止められるレベル。だがそれだけに迫力は満点。
錆びた車といえば…
旧車好きの友達が、錆錆の某車(ユーミンの歌に出てくるアレだったかな)を買おうとしてた時があって
…とりあえずエンジン系治して乗れるようにして、外装はおいおい治せばいいよ…とか言ってたんです
彼には言わなかったのですが、私、思いました。
それ多分、警察に止められまくるよ
また雑文だ…いや
錆びた車が如何に迫力があるかを、私は伝えたかった
トレーラーに話を戻すと
最後にトレーラーが崖下に落ちてゆくとき、フィルムがスローモーションになり、鳴り響くトレーラーのクラクションが恐竜のいななきのように聞こえる…
大型生物の最期という感じで印象的ではあります。
あとは、主人公の男の一人称的に描かれていて、その心理描写ね。
トレーラーは、主人公以外には、気のいいやつなんですよ。鉄道の運転手と警笛&クラクションで挨拶しあったり。スクールバスを助けたりとね。そのせいで、何も悪いことをしていない筈の主人公なのに、彼の方が罪悪感に似た疎外感を味わっている。なんで俺だけ?ってやつですね
追い詰められていて余裕が無い分、彼が変な人に見えてしまう。理不尽な話です。まぁ人生ってそういうものですが…
前回レビューが「酒とバラの日々」。これのテーマがアルコール依存症の恐ろしさを描いた作品だとして、今回の「激突!」はあおり運転の恐ろしさを描いた作品…ではないよなぁ…
だって原題が「Duel」だもん…
第四回「酒とバラの日々」
第四回レビュー「酒とバラの日々」
1962(米)
監督 ブレイク・エドワーズ
音楽 ヘンリー・マンシーニ
*******ネタバレ注意*******
題名の心地よさにだまされるなかれ。中々ヘビーな作品。ジャック・レモン演じるジョーは、仕事柄、接待的な場で飲む。仕事上の不満から飲む。と、ストーリー当初から飲み続けている。
出会った女性がリー・レミック演じるカーステン。ジョーはアラビアの石油会社との接待の為に、セミプロ的な女性を見繕っては連れて行く、というような仕事を当初していて、そういう女性と、秘書として働いているカーステンを間違えるという失態を犯す。それを謝りにいって、食事を誘ったのが縁で二人は付き合うことになる。
チョコが大好き、お酒は一滴も飲まないカーステン。初めての食事で、ジョーは彼女に「アレキサンダー」を飲ませる。
アレキサンダー(ブランデー・ベース)
ブランデー 30ml
生クリーム 15ml
クレーム・ド・カカオ 15ml
シェイク
最後にナツメグを適量すりおろし、カクテルグラスで供する
クレームドカカオは別名チョコレートリキュール。チョコレート好きな彼女に飲ませるにはうってつけといえる。このチョイスからもジョーがなかなかの酒飲みであることがうかがえる。
ただし、アルコール度数は高め。なにせショート・カクテルですからね。カーステンも、潜在的には相当お酒に強い事がわかる。
今時なら、お酒を飲んだことがないチョコレート好きな若いお嬢さんに、いきなり飲ませるようなカクテルじゃないような気がします。
…カルーア・ミルクあたりが無難でしょうか。
カルーア・ミルク
カルーア・コーヒーリキュール 30ml
牛乳 90ml
ビルド
氷を入れたタンブラーにカルーア、牛乳の順で入れ、マドラーなどで混ぜて供する。比率はお好みで…
二人は結婚し、やがて子供も出来る。子育てで留守を守るカーステン。接待などで酒を飲んで帰ってくるジョー。いい気持ちで帰ってくるジョーと、素面で帰りを待つカーステン。素面と飲んだくれの温度差が、ジョーには気に入らない。かわいい奥さんを子供にとられる…妻は私のものでもあるのに…という感情もあり、楽しくやろうと彼女にも飲酒を勧める。
最初は母乳に悪影響が、とか渋っていたのに。しばらく先のシーンでは二人で飲酒。三本あったはずのストックの酒が、一本減ってる…変だな…というような空恐ろしい表現で酒に溺れていく彼女を描く。
最初の出会いの時初めて飲んだ、思い出の「アレキサンダー」ですが、悲しいかな、この後のストーリーではほとんど出てこない。なにが悲しいかといえば、二人はこの後どちらもアルコール依存症になってゆくのですが、そうなってくると、カクテルなんて作ってじっくり味わうとか、かったるくなるのでしょう。ウイスキーとかジンとかをストレートで…そんなシーンばかり…
まぁジョーのほうは、初デートのときから、ウイスキーのポケット瓶をやってたから、最初からかなりヤバイのですが…。
だがある時、ジョーは鏡に映った自らを見て、なんて酷い姿だと悟る。ここ数年で何度も仕事を変えざるを得ないのは、仕事が出来ないとかそういうことではなくて、酒のせいだと突然気づく。
二人で酒をやめようと決心し、田舎にあるカーステンの父親のところに住むことにする。最初の何ヶ月かは酒を一滴も飲まず、園芸の仕事に精を出す。
二人は立ち直ったかにみえたが、仕事が軌道に乗ってきたある日、ジョーはこっそり、部屋に酒瓶を持ち込み、彼女と飲酒してしまう。
一杯だけ…少しだけ、楽しむだけだ…これが一杯では止まらないのがアルコール依存症の怖さ。
ふたりはいい気分で酔っ払う…お酒を飲んでいる時の二人は、素面の時よりも幸せそうに見えるのが何より恐ろしい。それも人生の真実ではあるのだろうけど…。
酒が切れ、園芸室に隠している酒瓶を取りに行くジョー。だが隠している場所を忘れ、あせって植物の鉢を壊しまくるジョー。
結局彼は入院し、「AA」(アルコホーリック・アノニマス)に入る。
吾妻ひでおさんの「失踪日記」に出てきたあれですね。アルコール依存症の方たちが共に立ち直るための互助会的組織。
自分はアルコール依存症だと認め、その体験を皆の前で話す。この、自ら認める、というのがなにより大事なのでしょう。
おかげでジョーは、酒なしの生活に戻ることが出来た。カーステンにもこの会に出るように勧めるが、彼女は自分がアルコール依存症である事を認めようとはしない。
酒を飲むものと飲まないもの。ここにまた溝が出来る悲しさよ。カーステンは家を空けるようになり、数日間失踪。その後、モーテルで飲んだくれているとの連絡が来る。
ジョーはカーステンを迎えに行くのだが、彼女は帰らない。素面の彼と酒の入っている彼女は決して通じ合わない。最初、酒を飲まない彼女にアレキサンダーを勧めたのは彼だったが、いつの間にか立場が逆転している。
カーステンの寂しさ、溝を取り払うには、彼も飲酒するしかなかった…
結局ジョーはまた正体不明になるまで飲み、モーテル内の酒屋を襲い、酒を強奪しようとする。
次のシーンでは、ベッドに両手両足拘束されているジョーのシーン。ずっとお酒を断っても、ちょっとした事で再び飲むと、止まらなくなり元に戻る…この辺が実にリアル。
結局この後二人は別居。娘と二人で暮らすジョー。
ラストシーン…ジョーのもとにカーステンがやってきて、また幸せに暮らしたいというが、酒抜きで、というジョーの固い決心に、悲しそうに出てゆく…
窓からカーステンの後姿を眺めるジョー。彼女の向かう先はバーであった。
アルコール依存症の恐ろしさを描いた作品。私は弱い人間であるから、相手が求めるのなら、私も飲むな、と、思ってこの映画を観てしまったりした。
共に堕ちるなら…
いや、わかってます。その感情がなにより恐ろしい。アルコール依存症に苦しむ方やそのご家族が大勢いる事もわかっています。この映画リアルすぎですしね…
作り手が、最初からアルコール依存症の怖さを描きたかったのか、それとも二人の男女のすれ違いを描きたかったのかによって、この映画の評価は変わりますね。もし後者なら、設定は別の何かにしないと…いくらなんでもこの設定は重すぎる。脚本を書く過程で、色々調べてリアルになった結果重くなったのだろうか…。
アルコール依存症はれっきとした病気で、それ故に心が通い合わなくなった二人の悲しい物語…
お酒は出来れば、ほどほどに…