第八回「グッドモーニング・ベトナム」
第八回「グッドモーニング・ベトナム」
1987米
監督 ハリー・レヴィンソン
出演 ロビン・ウィリアムズ
フォレスト・ウィテカー
チンタラー・スカパット
******ネタバレ注意!*******
舞台はベトナム戦争下のサイゴン。兵士向けのラジオ番組のDJとして、エイドリアン・クロンナウア上等兵(ロビン・ウィリアムズ)がやってくる。
クロンナウアは前任者のDJたちとは比較にならないしゃべりの面白さで、たちまち前線の兵士たちの心を虜にしてゆく…
というわけで、マシンガントークでジョークを連発するDJが主人公の映画なのですが…「パンチライン」のときも思いましたが、ジョーク要素が入った洋画は本当に難しいですね。字幕(または吹き替え)でそれを表現しなければならないわけですから。
それでも「パンチライン」は十分笑えた…少なくとも面白さは伝わってきたのですが、この「グッドモーニング・ベトナム」となると、ギャグそのものの面白さが伝わってこないものが結構ある。
その時代、アメリカに生きたアメリカ人が笑うためのギャグなので、難易度は高め。
例えば着任の挨拶で、ある上官にクロンナウアが罵倒される。その上官が去った後
目元がドナ・リードにそっくりだ
とクロンナウアがつぶやくシーンがある。これなんか、ドナ・リードはアメリカの女優で、この時代はベトナム反戦活動を行っていた、という知識がないと全く笑えない。
でもこれはまだいいほう。調べれば成る程、とわかるから。でも、言い回しによる駄洒落的なものに関しては、もう、お手上げでさっぱりわからない。字幕無しで観て、そのまま理解できる人で、なおかつスラング的なものにも精通していて…なんて人でなければ、本当の意味でこういう映画は愉しめないのかもしれません。
昔、ヘミングウェイとかスタインベックとか、向こうの小説を読んでいた頃、そんなのは原文で読まなければ意味が無いよ、とかうそぶいた友達がいましたっけ。
まぁ一理あるのですが…
言語が違うのだから、どうしてもニュアンスがずれてしまう時がある。それは確かに、その通りだとは思います。
ただ、私は翻訳文というものがとても好きでして…違う言語を何とか表現しようとしたあの独特の文体。それはそれで得がたい魅力があると私は思っています。
それは字幕に関しても同じ。別の言語圏であるから、字幕を通じて作品を見る。だけど多分、ネイティブの人には味わえない何かを手にしている時があるはず…そんな風に私は思っていたりします。
…自分に英語力が無いことの負け惜しみ…ではなくてね(笑…多分)
ついでに書いておくと、その友達は海外小説を原語で読んだりは決してしないヤツ、ということも書き加えておきましょうか…憎まれ口叩きたい年頃だったんですね、きっと(笑)
さて着任当初から、ベトナムの若い女性に、というかアオザイに反応しまくっていたクロンナウア。
ある時、お目当ての女性トリン(チンタラー・スカパット)を追跡。英会話教室に通っている彼女に近付くため、彼は無理矢理先生役に収まる。
まぁそれが、酷い下品なスラングとかばかりを教える授業で、生徒たちは爆笑。クロンナウアは皆の心を掴んでゆく…英語力がついたかどうかは怪しいですが
授業が終わった後、当然、クロンナウアはトリンに声を掛けようとするが、一人の少年に遮られる。
彼女は駄目だ。と
彼はトリンの兄ツアン(ドゥング・タン・トラン)。トリンに近付きたいが為に先生役を買って出たクロンナウアの事を最初、彼は信用しない。
クロンナウアは、まず、彼と仲良くなるところから始める。アメリカ兵御用達の店(ジミーの店)にツアンを連れて行く。そこで喧嘩に巻き込まれそうになったツアンを助けたことで、二人は仲良くなってゆく。
まぁ、ツアンに因縁をつけてきたアメリカ兵は、札束をちらつかせたクロンナウアに女性たちを取られた…という経緯があったが故で、元を正せばクロンナウアお前が全部悪い!としか言いようがないシーンなんですけど。
ツアンの協力も得て、トリンとの初デートにこぎつけるクロンナウア。だが待ち合わせの場所にいたのはトリン一人ではなかった。トリンの家族がみんな付いてきていたのだ。家族一行十数人を引き連れ、二人はデートする。
映画みたいなシーン。まぁ映画なんですけどね。デートの待ち合わせ場所に相手の家族が同行していたら、普通の人は引きますよね。でも平然とデートして度量の大きさを見せる。この表現方法は時々見るような気がしますね…どの作品かは忘れましたが…
このクロンナウアは善良なんです。だけどおそらく、当時の平均的なアメリカ人の理解力で、ベトナム戦争をみている。共産主義の脅威から、守ってやるためにアメリカが援助してあげている…強いアメリカ。まっすぐ前を向いていられるメンタリティ。
だが
物事は違う角度から視線を投げると、全く違った表情をみせてくる。
それにクロンナウアは徐々に気付いてゆく。
元々米軍放送局推薦の音楽など相手にせず、若者受けするロックを中心に選曲していたクロンナウア。彼の放送はノリとジョークとサービス精神で満ちていて、あるときなどニクソンのインタビューをハチャメチャに編集して流したり…そういう姿勢に反感を持つものも軍上層部にはいた。
ある時、ジミーの店が、ベトコンのテロにより爆破されるという事件が起こる。その時たまたま店にいたクロンナウアだが「たまたま」ツアンが彼を呼びにきて、外に連れ出してくれたおかげで彼は被害をまぬかれる。
ところが、店が爆破されたこの事件を軍は伝えようとしない。ラジオでそれを話すことは検閲により許されなかった。
だが、クロンナウアは自分の番組でそれを伝えてしまう。
当然、大問題になり、彼はしばらく休職扱いとなる
ところが、後任のDJが全く面白くない。前線の兵士たちは、クロンナウアの復帰を渇望する。
この頃、クロンナウアはトリンたちが住む村に遊びに行く機会があった。
当然、トリンの村には、戦争で家族を失ったりしたものもいる。そこに軍服で遊びに行くクロンナウアの無邪気さ…
その日、クロンナウアはトリンに
二人は(立場的に)違いすぎる。一緒になれない、友達でもない。
と、告げられる。まぁ振られたわけだ。
さて、休職中のクロンナウアだっが、あまりにも後任がつまらないので、クロンナウアの復職が決まる。しかし、当の本人は乗り気でない。
そんな時、たまたま兵士が満載のトラックとクロンナウアは出会う。そこで彼は、彼ががどれだけ兵士に支持されていたかを実感する。
復職し、以前にも増して張り切るクロンナウア。現地取材なんかも敢行したりするようになる。
ある時、その現地取材に行く途中、彼はベトコンに襲われてしまう。実はそのルートは危険だと軍は把握していたのだが、クロンナウアを好ましく思わないものが、わざと通行許可を出させたというウラがある。
さて、その事実を知ったツアンは、クロンナウアを助けに行く。最終的に、米軍のヘリで無事に救出されることになる。
ところが
このクロンナウアを救出してくれたツアン。彼はなんと、ファン・ドクトウという別名をもつベトコンで、爆破犯として追われる身だった。
ジミーの店爆破も、実は彼の仕業。
ベトコンと友達というのは大スキャンダル。これを公にはしないものの、クロンナウアは除隊、帰国と決まる。
ツアンの仲間の少年は既に処刑された事を知ったクロンナウアは、ツアンの身が危ないとトリンに告げ、彼の所まで案内してもらう。
結局、ツアンはアメリカに恨みを抱くベトコンなのです。アメリカは敵であり、アメリカのせいで彼の母や兄、隣人も大勢殺された。だから、ジミーの店で二人死んだんだぞ、と、クロンナウアになじられても、それがどうしたと彼は言う。
クロンナウアは、アメリカが友人として、ベトナムを助けに来たと、半ば本気で信じている。
だがツアンの言うように、殺しに来たのは、確かにアメリカの方なのだ。
アメリカ人はみな敵、当然、それがベトコンのメンタリティ。ツアンにとって、アメリカ兵は憎悪しなければならない対象、なのだ。
だが、皮肉な事に、クロンナウアは「いいやつ」だった。だから敵として憎むべき相手なのに、二度も命を助けた。
本当は二人は、友人などには決してなれない関係だった。その事はトリンも同じ。
そうとは知らず、無邪気にそして自信たっぷりに、彼らに近付くクロンナウア。アメリカ人である彼の「仲良くしようぜ」というシグナルは、とてもまっすぐで善良なもの。だが、集団としてのアメリカは、ベトナムという国を反共の一戦場として捉え、彼らに援助を押し付け、そして苦しめる。
戦争は、人を人として捉えなくなる。
アメリカ人だって、ベトナム人だって、勿論、いろいろな人がいる。
だが、国家、という集団が幅を利かせている状態では、誰もがその国家、というレッテルを背負わされる…
そういう事を、考えさせらる映画です…
最後まで、現地の人たちにクロンナウアが好かれていたのが、この映画の救いです…
クロンナウアが機上の人になっているころ、録音テープで、クロンナウアの番組の最終回が始まる。
先の朝鮮戦争で、アメリカがいかに押し付けがましく介入したか、コメントする。おそらくベトナム戦争そのものを批判できない、彼の精一杯のコメント。
そして、ベトナムで戦う兵士たちに、無事にお家に帰れますように、と、願いを込める…
Good bye, Vietnam…