第七回「シンシナティ・キッド」
第七回「シンシナティ・キッド」
1965(米)
監督 ノーマン・ジュイソン
出演 スティーヴ・マックィーン
エドワード・G・ロビンソン
アン・マーグレット
カール・マルデン
チューズディ・ウェルド
******ネタバレ注意!*******
シンシナティ・キッド(スティーヴ・マックィーン)は若手ギャンブラー。その腕の良さは評判で、今売り出し中の勝負師。
彼の住む町ニューオリンズに、伝説の勝負師ランシー・ハワード(エドワード・G・ロビンソン)がやってきた。彼は長らくポーカーの世界で勝ち続け、それ故「ザ・マン」という称号で呼ばれていた。
キッドの親友、シューター(カール・マルデン)の計らいで、キッドとランシーとの勝負の場が持たれる。彼に勝つことが出来れば、その日からキッドが「ザ・マン」と呼ばれることになる。金、そして何より名誉がかかった大勝負だ。
この勝負の前、スレイド(リップ・トーン)という男が、ランシーと勝負し、そして敗れる。その彼が、ランシーとの勝負が決まった時点で、情婦が身体に触れることを拒むというシーンは印象的。
いうまでもなく、(大抵の)男には女性が必要なのだが、ある瞬間、それが邪魔になるときがある。
だが大抵の男は、それは思っても言わない。実行しない。
当然相手を思いやったり、失いたくなかったりという気持ちが働くからだが、それをあえてすることで、勝負前の緊張状態を表現している。
一方キッドはといえば、女を追い払ったりはしないのだが、彼女、クリスチャン(チューズデイ・ウェルド)は、彼が大勝負を控えていると知って、邪魔にならぬよう田舎に帰る。二人の会話の中、一瞬キッドが上の空になるシーンがあるが、そういうところから、彼の心情をそれとなく察している。
キッドの親友シューターはどうかといえば…彼はかつて、ランシーと勝負して、負けた経験がある。それ以来堅実になった、とは本人談。つまり彼はギャンブルに携わり続けてはいるが、彼は第一線の勝負師ではない、と、そういう描き方である。キッドとランシーとの勝負の場でも、一応プレイヤーとしても途中まで参加するものの、とことんまではいかず、浮きも沈みもしない状態で勝負から身を引く。
だけどこれが意外とカッコイイ。ギャンブルにかかわりながら、大勝負はしない。堅実で大怪我しない所でスッと身を引けるというのは、相当の技術、経験がいる筈だからだ。
シューターにもメルバ(アン・マーグレット)という女性がいる。彼女はどうやらあまり良い過去を持っていないようで、それをシューターが拾ってあげた感じだ。彼女がジグソーパズルのピースを「削って」無理やり完成させようとするシーンに、彼が説教をする場面がある。
なんでもごまかそうとするな
どちらかといえば、二人の関係は父親と娘のようなものかもしれない。そういうこともあってか、メルバはキッドに惹かれている。
スレイドはランシーに敗れた事をうらんでいる。彼は良くわからないが裏社会に通じている感じのある危険な男。キッドとランシーの勝負の場で、メインのディーラーを勤めるシューターを呼びつけ、キッドが勝つように細工しろと脅す。曲がったことが嫌いなシューターだが、ランシーに対して多額の借金があり、親友を裏切るべきか、悩む。
勝負前、キッドはクリスチャンの実家まで足を運ぶ…キッドにとって彼女は大切な存在であることがわかる。彼女の両親と会い、カードのマジックで打ち解け…本気の相手でなければ、こんな風に実家には行かない。
いよいよ勝負当日
キッドとランシーがそれぞれ勝負の場に持っていく物をカバンに詰めるシーン。戦う前の二人が醸し出す、空気が素晴らしい。
キッドとランシーが初めて顔をあわせるシーン。地元の期待を一身に集めるキッド。ランシーが完全にアウエーである事を示すキッドに対するみんなの歓迎。そしてそれを演出するためにキッドはわざと遅刻してくる。
勝負は席に着く前から始まっているという事だ。
この手の勝負は、結局は心理戦。おそらく…ポーカーというのはこの心理的な要素が一番強いゲームだと思われる。この競技を極めたわけではないので確かなことはいわないが…
相手に心理的な傷を作ったり、自分を恐れさせたり、こういう要素が一番大事。
他の競技、スポーツもそういう要素は当然あるが、それだけで戦えるものではない。技術ありきで、その上にそうった要素も加わってゆく、という比率の筈。
だがポーカーは、その心理的な部分こそが技術、といっていい。そしてさまざまな方法で相手を心理的に追い詰めたり、読み違えさせたりと技を仕掛けるためには、軍資金は多ければ多いほどいい。そう考えるとこれは本当に破滅の競技だといえる。
最初は5人が勝負に加わっていたが、最終的に、キッドとランシーの二人が残り、サシの勝負となる。
ここで一旦睡眠休憩。
休憩前の勝負で、ディーラーをつとめるシューターが、キッドが有利となるようにカードを配る。それに気付いたキッドは、わざと降りる。
休憩中、キッドは彼を呼び出し、シューターにそういうことをやめるようにいう。実力で勝つ、と。
さらにその後の休憩中、スレードに呼び出され、シューターに協力させろと脅されるが、ここでもそんなことをしなくても俺が勝つ、と、言い切る。
さて、睡眠休憩中、キッドの部屋にメルバが訪ねてきて、ベッドにもぐりこむ。今まで親友の彼女だから手を出さなかったキッドだが、ここでついにメルバを抱いてしまう。
ところが、ここで間の悪いことに、部屋に突然クリスチャンが訪ねてくる。
当然、クリスチャンは悲しそうに出てゆく…
勝負再開。
ランシーは読み違いを連発し、キッドが勝ち始める。だがそれは罠だった。 ポーカーの決着は、最終的にはお互いによい手が入ったときだ。そういうとき、掛け金は釣り上がる。
観客の誰もがキッドの勝ちだと信じた最後の勝負
だが、キッドのフルハウスに対し、ランサーはストレートフラッシュを完成させており、一瞬でキッドは敗北する
悪役、というかやられ役っぽく描かれたランサーに対し、どうみても最後には勝つ主人公っぽく描かれたキッド。ところがそのキッドのまさかの敗北。
この意外性は秀逸
すべてを失ったキッド。帰る途中、いつも小銭を勝負する少年に勝負を挑まれ、それにまでも敗北する。
勝ち運が逃げた
傷心のキッド。だが、街角で彼を待っていたのは、失ったはずのクリスチャンだった…
派手な展開も大仕掛けもない映画ではあるが、なにより全編に漂う空気感がよい。マックィーンがカッコイイのはもちろん、脇を固める人たちが渋い
ランサーの長年勝負に勝ち続けてきたがゆえの貫禄…
レディ・フィンガー(ジョーン・ブロンデル)の妙に映えるピンクのマニキュアと、同色の唇。女だてらに長年勝負をしてきたものらしいアピール…
カードが配られるたびなにやらメモをとる勝負師、我に勝算あり、という精神的アピールなのだろうか…
カードギャンブルという難しいテーマを、それに携わる人間を濃厚に描いてみせることで、見事に表現した作品。
今の目からみると地味かもしれないが、その分、良質に作りこまれている映画である。